ただ今、ココロ塗り替え中。

心理学から自分を変えるプロセス日記

母の呪文

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こんにちは!サッコです!

 

私のビリーフ(思い込み)

 

・私は認められてない
・私は評価されてない
・私はダメな存在だ
・私は負けるに決まっている

…という、ビリーフを持ったきっかけを幼少期に遡り、深堀りしてみたところ

 
幼少期、それは小学校頃、
母が私に唱えてい私に対する言葉(呪文)がいくつか出てきました。

 

●母の呪文 その1

 

私は中学生の頃まで体が小さい方でした。小学校6年間、背の順は一番前。

母は、私の担任の先生や周りの保護者に初めて挨拶するときに必ず言ったこと。

 

「この子は早生まれで体が小さく、行動もワンテンポ人より遅いので、どうかよろしくお願いします。」
と言って頭を下げる。

 

これを繰り返し聞いて、繰り返し見てきた。

それまで私自身は、体が人より小さいことは気にしてなかった。

 

行動も人より遅いと思わなかったし、遅くてもまぁなんとかなって、特に問題ないと思っていた。

 

でも、この母の言葉を繰り返し聞いているうちに…

 

・私は体が小さくて心配されるレベルなんだー
・私は人より遅くてダメなんだー
・頭を下げたり謙遜するレベルなんだー

 

どうやら、

私は生まれつき小さくてダメな人間らしい。

と刷り込まれて信じるようになっていました。

 

この呪文、母自身の不安解消と私によかれと思ってやってたのかもだけど、私には全く良くなかった。

私は2月生まれ、なんとなく「2月生まれ」をよく思ってない感情があることに今回気づき、理由は母のこの言葉だ。と思った。


●母の呪文 その2

 

「早生まれの子は頑張り屋さんが多いんだって!」

 

これは母がTVか誰か教育者から聞いた言葉のようでした。

うれしそうに話していたのを覚えています。
母にとっては、体の小さな私を前向きに捉えるための自分への慰めの言葉だったのかもしれません。

 

でも、私にとって、
そんなことを母親から言われた日には…

 

私は、頑張り屋(努力家)になればいいのだと、そのできない、ダメな私が解消される信じて、なんでも一生懸命やるようになりました。

 

確かにコツコツとした努力により希望の進路に行ったり、報われたかもだけど、、、

 

おかげさまで
頑張りすぎる、課しすソーダな人間(何でも自分に課しすぎる人)が出来上がりました。


●母の呪文 その3

 

「あなたは運動神経がよくないから…」

 

これもよく言われた。

 

足は速くない。
スポーツは不得意。
かけっこで競争したら負ける。
負けると分かってるから、競争なんてしたくない。

 

だから、競争嫌い、スポーツ嫌い、競うゲームも嫌い。
じゃんけんすらあまり好きじゃない。

 

負けると信じてるから、
戦うのはやる前から嫌い。

 

何でも「競争しよ!」と言ってくるスポーツ好きの友達が嫌いだった。

 

でも高校の時に水泳大会で泳いだら意外と速いし面白くて、「なんだ。思い込みだったのか」と思ったこともある。


こんな呪文を唱え続けた母は、
どんな母かというと。

 

極度の心配性。社交的でないため友達に相談する機会がなく、一度心配事が発生すると悪い方向へ事実を捻じ曲げて捉え、そうに違いないと家族に言い始めます。

 

引き寄せでいうと、ネガティブな想像からネガティブを現実化していました。
もし現実化しなくても本人の中では思い描いたネガティブ通りに捉えていました。

 

家族が、「それはお母さんの思い込み、そうではないよ」と言っても、考えが変わることはなかった。

 

母がなぜそうなったのかは分からないし、それは本人の事情があるのかもだけれど、
私には全く関係ない。


母の思い込みの言葉で私は刷り込みをされていただけ。

 

だから、もう関係ないから
その呪縛を解く、基本の合言葉で私をリセットします。

 

・私は既に認められている。
・私は素晴らしい。
・私は愛されている。
・私は評価されている。
・私はいい感じ。
・私は勝てるかもしれない。

 

毎日唱えてリセットします。
もう母の呪文は関係ない。

 

そのほかに幼少期の記憶から細かなことを書き換えるなら。

下の言葉でしょうか。考えてみました。

 

・私の体はもう小さくない。
(もし小さかったとしても問題ない。子供の頃なんら問題なかった)
・早生まれはなにも問題ない。一切関係ない。
・早生まれで体が小さくても愛される。能力レベルに一切関係ない。

・2月生まれはステキ!最高!
・私が努力をしたければすればいい、したくなければしなくていい。それは私が選択すればいい。
・生まれつき努力家タイプなんていない。
・勝負は勝つこともあれば負けることもある。
・私が勝負で負けるかはやってみないと全く分からない。
・もし勝負で負けてもなんら問題ない。
・勝負の結果は先に分からない。だから面白い。

 

2月生まれで、早生まれで、体の小さかった私を癒してあげたい。

もう関係ない。母のために努力する必要はない。

競争や勝負を怖がる必要もない。のです。

   

今回、幼少期を思い出したり、母と会った時に聞いた昔話から、遡ることで色々出てきました。

 

私は昔のことを結構覚えている方なので、またビリーフに出会ったら遡ってみたい。

そして細かな引っ掛かりを、一つづつ塗り替えたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました(^。^)

8月に出た過去5年分の結果とは?

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こんにちは、サッコです!

 

昔から占いが好きでたまに行きます。

 

特定の先生の所に通い始めたのは9年くらい前、


まぁ、今よりもっと悩める時だったので、その頃はかなりハマっていました。。

 

その占いの先生とのお付き合いも長く、

昨日は来年の運勢を、教えてもらいに家族で行きました。

 

そいえば去年その先生に言われてたこと、


今年の8月に過去5年の結果が出ると。。

 

そんなこと言われたことを忘れていたのだけど、

 

8月と言われてドキっとしたのは、

 

仕事で、8月に組織変更があって、

結局元サヤというか、元上司と同じ組織になったこと。


この方はどうやら仕事上、切っても切れない人らしい。。


非常に学びの多い方です。。

 

 

そして、6月から心塾に通って、


このブログを始めたのは8月。

 

心塾のことは5、6年位前に知りました。

 

その時はまさか自分が心塾に通ってると思っていなかったし、

私自身の心についてブログを書いてるなんて夢にまで思ってなかった。。

 

だからこれも、私の「結果」なのですね。

 

絶対いい方向に行ってる!

 

そう信じて。

 

18年8月、私は、自分で自分の人生の選択をしています。

 

(もう10月だけど!)

 


最後までお読みいただきありがとうございました^ - ^

9月の中旬、母に会って

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こんにちは、サッコです。

 

9月の中旬、久しぶりに両親に会って、喫茶店で数時間話をすることになりました。

 

近況報告が終わった後、

時間があったため、自然と昔の話になりました。

 

私が小学生の頃住んでいた近所で変わった人がいて大変だった話から、
私と姉を育てた小学生の頃の話を母はしていました。

 

そこで知ったこと。

 

姉が小学生高学年の頃、

近所の同学年の友達からちょっかいを出されていた時があり、

母がすごく心配をしていたということ。

 

いじめとは言わなかったけど、
女の子数人のちょっかいの標的みたいな感じらしい。

 

それを母は知り、心配し姉を下校時に迎えに行ったりしていたらしい。

 

ある時、あまりに目に余る行為があって、その子供の母親に、母が直接やめてくれと申し入れたこともあったとのこと。

 

その話は知らなかったので、ただ聞いただけで両親と別れましたが、


家に帰ってからふと、


私に「目立ってはいけない」と強く教えていたのは、ちょうどその頃。

 

姉が友達からちょっかいを出されていたのと同じ頃。

 

ということに気づきました。

 

もしかして、
母は母自身のために私に目立つなと言ったわけでなく、


私が姉と同様に、友達からちょっかいを出されないように、


少しでもターゲットにされないように、
目立たないようにいなさい

と教えたのではないか?

 

その可能性が高いと、

母と会って離れた後に、気づいたのでした。


今度、母に会った時に聞いてみようかな。

 

「私が小学生の頃、私にあまり目立って欲しくなかった?」

 

「それはお姉ちゃんみたいに、友達にちょっかいを出されると困ると思ったからなの?」

 

こんなこと母に聞いたことはないし、


「そんな昔のことは忘れた」と急にはぐらかされるかもしれないけど、


聞くだけ聞いてみたいなと、
思ったのでした。。

 

最後までお読みいただきありがとうございました(^。^)

目立ちたい気持ち&目立ちたくない気持ち 【後編】目立ってはイケナイ?

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こんにちは、サッコです。

 

前編「目立ちたい」に続いて、

今回は後編「目立ちたくない」について内観します。

 

___________

 

私の「目立ちたくない」は

 

「目立ってはイケナイ」です。

 

これは、ズバリ母の影響でできたビリーフです。


母の教え、「目立ってはダメ」を幼いころから守ってきました。

 

母自身が、

とにかく目立ちたくない人。

表に出たくない人。
皆といるより1人が好き。
複数人でいるととても疲れるそう。

 

それを子供に押し付けて私を育てました。


自分の子供が目立つ=母親である私が目立って困る。

 

という理由からでした。

 

私は幼い頃から、

目立たなくてよい、
目立たない方がいい。

と発するメッセージに込められ、暗に教えられ育てられました。

 

例えば、


 派手な色の服は目立つからダメ。

 

 短いスカートは目立つからダメ。

 

 変な髪型は目立つからダメ。

 

 お店で長時間滞在してると万引きしてると怪しまれるからダメ。

 

 大きな声を出したり、集団ででいると目立つから良くない。

 



誰に対して?というと、

近所の人。要は母の生活コミュニティの周辺住人が対象でした。

 

私の育った場所は関東の田舎と新興住宅が混ざったエリアでしたが、

母は近所のコミュニティの中で浮くことを必要以上に恐れていたのかもしれません。

 

とにかく、なるべく目立たず、怪しまれずにいろと。育てられました。

 

10歳頃には「地味」という言葉が、

褒め言葉だと勘違いして、ひたすら地味な色の服をセレクトしてた事がある。(笑)

 

そして、嫌な記憶なのですが、


私が小学校のとき、宿題の絵を父に絵の描き方を教わりながら、

一人で木を描いたのですが、

母はそれが「上手すぎる、親が描いたと疑われてはいけない」と言って、

下手に見えるように私の描いた絵にわざと汚く見えるように

手を加えた事がありました。

 

もの凄くショックでした。

 

でも、母はそんな行動に出てしまうくらい、

自分以外の家族の行動についても、

人から何か疑われたり、思われたりすることを恐れていたのです。

 

 

そんな、母親に育てられた私。
もともとどんな子供だったかというと、、、

 

・おもしろい事で人を笑わせるのが好きだった気がする。

 

・ユニークな事で楽しくなりたい子供だった気がする。

 

・それは自分が興味があって楽しければ良かった。

 

そんな、お気楽な私のハズが、、


前編「目立ちたい」のビリーフ「褒められなくてはいけない」があるので、

普段の生活の中で、自ずと先生ウケの良いテーマを優先するようになってしまったり。。

 

この「目立ってはいけない」があるので

学生時代、課題で面白いものを作っても、

わざと人目につきにくい場所に貼ったりしていました。

 

まず、自分の扱う物事として、自分が好きなものを選べていない。


評価されるチャンスを自ら絶ってみたり。完全にひねくれております。。


私を生きていない。

 

 


これからは、

 

・ストレートに私が好きなものを選べばいい。


・それが好きだと言えばいい。


・それを目立つ所で発表してもいい。


・それを良いと思うか、思わないかは相手の自由だし、

 

 それを評価されようがされまいかはどちらでもいい。

 

と考えればいいのですね。

 

 

 

このビリーフのメリットは見当たりません。(何かあります?)

 

 

結局、目立つな、という教育を受けて育ちましたが、

何かのご縁で仕事をしていると、人前に出るチャンスを定期的に頂いている気がします。

これも必然必要ベストですね。

 

目立ってはいけないと思い込んだ私に、目立つ場所を持ってくる神様。

私へのこのモヤモヤ体験して気づけよ!メッセージだったのかもしれません。

 

 

まずは、自分の本当に好きなもの探し、その発信(したければ)からやってみたいと思います。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^)

目立ちたい気持ち&目立ちたくない気持ち 【前編】目立つと愛される?

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こんにちは、サッコです!

 

私は、普段生活している中で


「目立ちたい」という気持ちと
「目立ちたくない」という気持ち

 

両方をもっています。

 

皆さんはどうですか?

 

私の場合は


「目立ちたい」=優等生として褒められたい。


「目立ちたくない」=変に注目を浴びてはいけない。

 

みたいなニュアンスで捉え、両方をもっています。

 

両方の気持ちが一気に来た場合、混乱しコミュニケーションがおかしくなります。
さっきは、出たがってたのに、やっぱり引っ込んだ!みたいな。

 

それぞれの気持ちがなぜ出てきたか?を内観してみようと思います。

 

 

まず、前編では、「目立ちたい」について考えてみました。

 

_________________

 

小学校の時に、賞状を貰うと母が褒めてくれた。


テストで点が高いと母が褒めてくれた。

 

これって一般的な家庭でよくあることなんだけど、、、
そして母の褒め方もごく普通でした。

 

が、私の場合、

 

3つ離れた姉が成績優秀で目立つ存在だった。


私は姉が大好きで、姉と同じようになりたかった。

 

姉に憧れをもっていた点で、

この褒められたい気持ちに、拍車がかかっていった気がします。

 

賞状をもらう時に
学校でみんなの前で名前を呼んで貰える。
賞状をもらえると、学級だよりに名前が書いてある。

 

これって特別扱いで、目立つこと。
人より頑張って、褒められて、目立つと嬉しい。になっていった。

 

私にとって
褒められて目立つこと、
それは、自分が姉のようになれて、

愛されている証拠、だから安心。


だったのです。

 

このビリーフにメリットもありました。

 

人に勉強しなさいと言われなくても

姉のようになりたいから、勝手に勉強していた。
姉と同じ行きたい高校に行けた。
とかです。
今思うと、高校入学までは完全に姉のパクリでしたね。


でも、これが今となっては、足枷になってしまいました。

ここがデメリット。

 

優等生として目立つのは良いこと
という意識があるけど、
その目立つ場所に立つためには、
常にレベルが高くないといけない、
評価を維持しないといけないのです。

 

だから、

 

・失敗してはいけない。


・みんなに褒められないといけない。


・特に先生や上司などに評価される結果を出さないといけない。

 

と思いながら過ごし、

そして、目立つ場所に立った時は、
注目を浴びてる以上、


・上手くやらなきゃいけない。


・波風立ててはいけない。


というプレッシャーが強くかかるのです。

大人になった今、
「失敗してはならない」がものすごくストレスになってしまっている点、
仕事で1回しかチャンスがない仕事は失敗できないと思い込んでるため、

更にプレッシャーがかかって大変です。

 

例えば、
大勢の人の前でプレゼンするなら、
原稿つくって何度も読んで下準備。

 

失敗しないための下準備で超・大変。疲れます。
そしてそれを事前にやらないと落ち着かなくなっています。

 

そして、そんな準備でできた私は本当の私ではありません。

シナリオとしての私を演じてるだけ。

だから、アドリブは効かないんですよね。

 


ああ、小さな頃の私に声をかけよう。

 

いつも頑張って大変だったね。


そんなに頑張らなくてもあなたは愛されてるから大丈夫。


お姉ちゃんのようにならなくても愛されてるから大丈夫。


あなたは、あなたのままで良いんだよ。

 

 

そして、今の私への合言葉

 

・失敗してもしなくても、わたしは愛されている。


・結果を出さなくても、愛される。


・みんなに好かれなくても良い。

 

自然体で、私が心地よくやりたいだけでいいんだよ〜♡

 

これから、繰り返し唱えてみようと思います。

 

これで、やりすぎ、課しすぎからの脱却も図れるかな…。

 


最後までお読みいただきありがとうございました^ - ^

 

次回後編は、「目立ちたくない」について、

なぜそうなったのか、内観してみたいと思います。

AなのかBなのか?と聞かれて

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こんにちは、サッコです!
今回は、夫婦の会話からの話です。

 

私は夫との会話で、夫から
「で、結局AなのかBなのか?」
と質問されることがあります。


私は、このような質問に答える時、

「ええと、Aでもなく、Bでもなく、
あの時はこんな事情があってAをやりたかったけど…できなかった、

途中からBでもいいかとおもったんだけど…、時間がなくてBでもなかった。
だから、BっぽいCにしたよ。
CだとAほどではないけど、こんな面で良いこともあるしねー」

と、こんな回答になります。

 

すると、夫は
「で、AなのかBなのか?」
とまた質問を繰り返して、怒りはじめます。

 

夫からは
「結論だけ言って欲しい。
Cの話でなくて、AなのかBなのかそれを知りたい。途中の話なんかしなくていい。」

と言われます。

 

そして、だいたい
Aは成功、Bは失敗の内容。

私が答えたCは限りなくBの失敗に近い結果だったりする。

 

夫に言わせると、
「CってBと同じだろ。じゃあ最初からBって答えれば済むじゃん。」となり、とてもイライラするそうです。

 

要は、
夫に「Aの成功なのか?Bの失敗なのか?」と聞かれて、
Aでない場合、
私は「Bでした。」と素直に答えられないのでした…

 

もう何年も何回もこの会話をやっています。

 

私の言い分としては、

 

(答えとしては、Cになる。だってCってBには近いけど、Bとは違う面もあるし、私だってAを目指してたけど、できない事情があってしかたなくCになったんだ。
それをAなのかBなのかと2択で聞かれて、どちらかで答えるのはおかしい。
それに色々な事情があるのに、結果だけ言うなんておかしい。
その途中経過や私の考えや努力も認めて欲しい。)

 

というのが心の声で、上のように答えてしまう理由なのでした。

 

夫からはこんなやり取りがあるたびに

「コミュニケーションがおかしい」と言われ呆れられてきました。

 

そして、色々話し合った結果
夫から
「この受け応えは、自己防衛から来てそうだから、心に何かあるんじゃん」と言われました。

 

それが、心理学を学び始めたきっかけの1つでもあります。。

 

前のブログでも書きましたが、

私には


「失敗してはいけない」
「失敗を認めてはいけない」

 

という、ビリーフ(思い込み)があります。

 

この会話も理由は同じで、
「Bだったよ!」と答えると、失敗を認めて私は負けとなるのです。

 

だから、Aの成功なのかBの失敗なのか?と聞かれると

Aでなかった時、
とってもドキドキします。
焦ります。

 

頭の中では

Bと言ったら負けだ。

でもAではない。
嘘は答えられない。


困ったぞ、
でも、Bでもないんじゃない?

だって、結果はBと少し違うし、
Bよりメリットもあるし、
じゃあ、BじゃなくてCじゃん!

 

なんで、AかBかって2択なの?
その2択で聞くのもおかしいって伝えたいわ。

じゃあCって答えて、なんでCになったか言わなきゃね!

 

という考えで答えています。

 

失敗したくない、負けたくないという恐れから反応してしまうのです。

 

もしかしたら「失敗してはいけない」
以外のビリーフも理由かもしれませんが、

 

一旦、
私のココロ塗り替えの合言葉

 

・私は失敗してもいい

・私は失敗しても嫌われない

・失敗はチャレンジのもと。頑張った!

 

と唱えて生活してみようと思います。

 

今までこのようなコミュニケーションで怒られると落ち込むばかりでしたが、
今は解決するための糸口を掴んで、行動に移す事に変えました。


少しだけ前進しています。

私頑張ってるなぁ。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました^ - ^

カレーが辛い!と言われ動揺した件

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 こんにちは、サッコです。


 夏といえばカレー、

こちらのルー、すぐ溶けて便利!だったんですけどね。。

 

先日のエピソード。

私の心が揺れたのです。

 

こんなことで?!

 

と思うかもですね。

 

 

でも、かなり揺れました。

 

これは内観のチャーンス!

 

と、捉えてやってみました。

 

 

まずあったこと。

 

ある夜、自宅で、家族4人(夫、長女7歳、長男5歳、私)夕食を食べはじめました。

 

この日のメニューはカレー。

 

いつもとは別で、

インド風カレーが食べたくて、

久しぶりに前の晩にこだわって作ったカレーでした。

(私は無類のカレー好きです)

 

でも、子供達はまだ辛いものが食べられないので、

材料は大人と同じエビ、ココナッツミルクは入れたものの

味付けは甘口カレールーを使いました。

 

これを子供達が食べはじめた所…

 

娘が「辛い!食べられない残す!」と発言。

 

 

私の脳の中

 

えっ?

 

昨日の夜は普通に食べたのに?

辛い?

二日目のカレーはまろやかになるよね。

昨日の夜食べられたカレーが、

二日目に食べられなくなるはずはない。

ルーも甘口だし。

 

だから娘は違う理由で食べたくない理由を言ってるのかな、でもそうは見えないし。

 

そしてこれ全部残すの?

せっかく作ったのにー。

 

と、思い。

すごく焦るような気持ちになりました。

 

そして、私の口から出た言葉は

 

「えっ?辛い?

なんで辛く感じるんだろう?

昨日食べられたのに、

それは

ユーちゃん(娘のこと)の歯が抜けそうで、そこがグラグラしてるところからしみて辛く感じるのかもね…

 

でした。

 

それを聞いた夫が

 

「なんで辛いというユー(娘)の気持ちを受け止めずに、訳のわからない医学的に根拠のなさそうな変な理由を無理やりこじつけて話すんだ?そうゆうのやめろ」

 

と言って私をたしなめました。

 

 

ガーン( ̄◇ ̄;)

 

娘に辛いと言われただけで凄くダメージを受け、さらに夫から怒られて。。。

 

Wパンチで、落ちていきました。

 

ボロボロになったまま、娘に「ごめん…」というのが、精いっぱいでした。

 

そして、子供用に作ったカレーを食べてみたところ…

 

なんと、1日目より辛かったのです。

大人でも辛いかも(;´д`)

 

料理的には、甘口のカレー粉が普段使わないタイプだったのと、

ココナッツミルクのせいか、カレー粉の中のスパイスの味が前面に出る形となりました。

 

で、

 

その後、この件をのちのち内観した結果

 

2つの気づきがありありました。

 

【気づきその1】

 

料理を否定されて、私の存在否定と受け取った。

 

私も家事で得意不得意はあるのですが、唯一家族に褒められる、比較的好きな家事が「料理」だったのです。

 

唯一、家族に褒められるというところで、いつの間にか、家事の料理が存在価値レベルの位置付けに。。。

 

 

(あ、ちなみに、たいした料理は作れません。ごく一般的な家庭料理です。)

 

 

それが、料理が辛くて食べられない

食べられない物を作ったのは私

私の料理ダメ

私ダメ

 

と、とらえた。

 

こだわってること、自信があったことを否定されて、大きく揺れたのです。

 

責められたことを単純に「今日のカレーのこと」にできなかったのです。

 

心理学講座で習った

ニューロロジカルで責められたポイントが一番上の「存在」までいっちゃったパターンでした。

 

 

【気づきその2】

 

失敗してはならない

 

という、マイルール(観念)が見えてきました。

 

私は

 

とにもかくにも、失敗してはいけない

 

があります。

 

子供の頃の影響で、

 

失敗をしたときに、失敗と認めると良いことはない。

 

と決めていることがわかりました。

 

だから、私は失敗した場合、

1人で証拠隠滅する、

または、

どうにかして失敗を認めない言動をします。

ものすごく必死です。

 

よって、上のように

 

私が料理を失敗するはずがない

または、

料理の失敗を認めたらいけない

カレーが辛いはずがない

娘が辛いと感じる理由は何か?

!あっ今、前歯が抜けそうでグラグラなんだった!

グラグラならしみて辛く感じそう!

 

で、上記の返事を娘にしてるのです。

 

娘に返事するまでの思考を書いててわかりますが、

なにかこじつけられる原因っぽいことを見つけた時の私の心。

 しめしめ…と喜んでるのです。

 

ビックリマーク!までつけてる…

 

そこまでして、

思考を変えてまで、

「失敗してはいけない」のです。

 

 

今回の内観はまず、その1しか気づけませんでしたが、別の内観時に「失敗してはいけない」が出てきて、そいえばカレーが辛い!の反応もこれじゃないかとリンクして気づくことができました。

 

 

この「失敗してはいけない」ビリーフについては、また別の記事で取りあげていきたい思います。

 

こんな日常のことですが、心が大きく揺れたことを内観するとなんか出てきますね。

 

なにより、ズバリと指摘する夫は毎回気づきを与えてくれます。

夫よ、ありがたやー!ありがたやー!!

 

最後までお読みいただきありがとうございました ^-^